2006/05/19

とりとめのない話

住宅をとりまく業界は、めまぐるしいスピードで日々進歩している。売り手側は、一はやく察知して、それを武器に商戦をしかける。
 
 ボクは、たったひとりで仕事をしているので、そういったことを取り入れるのは、いとも簡単な環境にいると思っている。
だが、おいそれとは、簡単に手を出す気にはなれない。
その結果、大切なものを失ってしまっていることに気が付いていない人が多すぎるような気がしてならないからだ。

内覧会で「どうゆう工法ですか?」と聞かれると、正直なところガッカリしてしまう。ハッキリ言って、どんな工法でも、完成後の生活を左右することは、まずナイ。
しいてあるとすれば、施工精度の問題だと思う。
(事務所の柱時計)
tpkei.jpg
逆に「何とか工法」を売りに、住宅を販売している業者には、いろんなリスクが付いている(と思う)。
規格の関係で、矩計が固定されてしまったり、使える材料が制限されていたりだ。

一昔前の流行の、K値やQ値を一所懸命に語っている連中の住宅が洞穴のような外観だったりする。
数字と住みやすさとは次元が違うハズなのに。

住宅の善し悪しは、極論で言ってしまえば、そこに棲まう本人の満足度が全てだ。
だが、それを言ってしまえば、ボクらのような仕事の意義がなくなってしまう。

自己評価の基準は、いかに住み手の満足感を引き出しているかのように見せかけて、その地域に根ざした建築を完成させるか、廻りの自然環境にマッチさせているか、通りすがりの人々に快く受け入れられる街並みを形成させているか、ということだ。

必要であれば、あえて暖かさなんか追求しない。
必要であれば、自尊心の強いお父さんを無視して質素な床の間にしてやる。
必要であれば、マッチ箱のような小さな住宅に住まわせる。

 要するに、プライバシーもへったくれもない、あいつに家族や家庭のことを、みんな暴かれて、「すっぱだかにされてしまった」と、思っている方・・・

・・・いい家に住んでますよ。
関連記事

コメント

非公開コメント